洋画百鬼夜行

映画レビュー

【ネタバレ】監督の怨念が込められた怪作!不条理と狂気が織り成す愛憎劇『ポゼッション』

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【邦題】

ポゼッション

【原題】

Posession

【制作国】

フランス/西ドイツ 

【劇場公開日】

フランス:1981年5月27日

日本:1988年9月17日

【上映時間】

127分

80分(アメリカ劇場公開版)

【スタッフ】

監督:アンジェイ・ズラウスキー

脚本: アンジェイ・ズラウスキー

製作:マリー=ロール・レール

撮影:ブルーノ・ニュイッテン

特殊効果:カルロ・ランバルディ

美術:ホルガー・グロス

編集:マリー=ソフィ・デュフ

音楽:アンジェイ・コジンスキー

【キャスト】

イザベル・アジャーニ[アンナ/ヘレン]

サム・ニール[マルク]

ハインツ・ベネント[ハインリッヒ]

ミシェル・ホーベン[ボブ]

マルギッド・カルステンセン[マージ]

カール・ドゥーリング[探偵]

ショーン・ロートン[ジマーマン(探偵)


【奇跡のリバイバル上映で『ポゼッション』を初体験】

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『ヘレディタリー/継承』で「21世紀最高のホラー映画」と絶賛されたアリ・アスター監督が失恋した時の心情をショッキングなストーリーと演出で話題を集めた『ミッドサマー』。失恋という誰もが経験するであろう苦難を地獄絵図のような映像表現で具現化し、監督の失恋した当時の心境が底知れない闇に覆われていた事が画面全体から欝々と伝わってくる構成になっている。監督自身の失恋体験を多少の脚色や誇張で如実に表現するのではなく、スリラーテイストに全編を纏い完全なフィクションとして徹頭徹尾仕上げた結果、観客に強烈な印象と後味の悪い嫌悪感を植え付け、評価が賛否両論分かれた過激派カルト宗教失恋トリップスリラー映画として日本でも異例の大成功を収めた。


監督自身の実体験を映画にアウトプットした作品は数多あるが、『ミッドサマー』のような監督自身の厭な経験を基にした悍しくも完成度の高い映画は希少だ。このような人を選ぶ決して量産されることのない、観客の精神を擦り削らせる挑戦的な『ミッドサマー』に同様の手触りを感じた作品がある。それはアンジェイ・ズラウスキー監督の『ポゼッション』だ。男女のすれ違いと極度のストレスが温床となり悲惨な運命を辿るプロットは『ミッドサマー』との共通点の一つだ。ただ、アリ・アスター監督とは異なるアプローチで観客を地の獄へと誘う。


『ポゼッション』は1981年に第34カンヌ国際映画祭にて初公開され、凄惨な演出とストーリーが進むに連れてジャンルが行方不明になっていく構成に観客は圧倒され、日本でも1988年のファンタスティック映画祭にて初公開され話題を呼んだ。そして、20201月。狂気はそのままに、高品質な映像に変貌を遂げ日本に再上陸し、このリバイバル上映が私の『ポゼッション』初体験となり、私はこの映画の形容し難い魅力に心を奪われた。


アンジェイ・ズラウスキー監督の実体験が生み出した邪悪な寓話】

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ポーランド出身のアンジェイ・ズラウスキー監督は父親の小説を基にナチスに一家を惨殺された男が妊婦の女性に亡き妻の面影を重ねてしまい、その女性を守ろうと生活費を稼ぐためにチフス菌実験の検体者となった男の人生を通しながら、不条理なポーランドの当時の現状を混沌と映し出す『夜の第三部分』(1971)と第二次ポーランド分割時代に王暗殺未遂として収容されていた男が認知の歪みにより可視しているモノが現実なのか幻想なのか判別がつかない状態になりながら、酸鼻を極めたポーランドを彷徨う『悪魔』(1972)といった哲学的且つ政治的な攻めたテーマと奇抜な作家性がポーランドでは物議を醸し、ポーランドの映画業界からは異端児扱いされた映画監督だった。(現在で言えばアリ・アスター監督、ギャスパー・ノエ監督、ラース・フォン・トリアー監督、ジェニファー・ケント監督等がズラウスキー監督の厭な映画の系譜を汲んでいるように思える)

ズラウスキー監督はこの二作品で常軌を逸した狂乱する女性を見事に演じた女優マウゴジャータ・ブラウネックと結婚するが程なくして離婚。さらには、ポーランド政府から目を付けられ『悪魔』はポーランド国内で上映禁止処分を受け、1977年には大叔父の小説を原作にした大作SF映画『シルバー・グローブ/銀の惑星』は政治批判だと難癖をつけられポーランド政府によって制作中止に追い込まれるなど災難続きだった。(後に『シルバー・グローブ/銀の惑星』は1988年に公開される)

そこに救いの手を差し伸べたのはハリウッドの映画会社パラマウントだった。ズラウスキー監督はこの機を活かそうとニューヨークへと渡り『シルバー・グローブ/銀の惑星』に代わる作品として自身の離婚問題の苦悩を基にして構想した『ポゼッション』の原型である脚本を仕上げた。しかし、故郷のポーランドに帰国しようとしたズラウスキー監督に待ち受けていたのは、ポーランド政府からの国外追放の通告だった。帰る国を亡くし絶望の淵に立たされたズラウスキー監督だったが、心折れることなく映画の撮影場所を西ベルリンに移し『ポゼッション』の撮影を本格的に開始した。マウゴジャータ・ブラウネックとの夫婦生活での不満と鬱憤、ポーランド政府から映画制作を阻害され最終的に国外追放までされた憤りと哀しみを怨念として宿された『ポゼッション』は邪悪な寓話として誕生したのだった。


【不倫劇から一転、ホラー映画へ!理想は怪物を生む】

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ベルリンの閑静な住宅街を背景に重苦しくも耽美な音楽が奏でられる導入部で、早くも不穏な空気が漂う。物語は終始、この不穏さが持続され観る側の体力を消耗させられる。簡易的に言えば物語は単身赴任を終えた夫のマルク(サム・ニール)と夫の帰りを待っていた妻のアンナ(イザベル・アジャーニ)による怪奇色を含んだ不倫劇である。マルクの単身赴任中にアンナがヨガのインストラクターのハインリッヒ(ハインツ・ベネント)と不倫している事を友人のマージ(マルギッド・カルステンセン)から聞かされ激情したマルクはアンナに対して暴力を振るい、ヒステリックを起こしたアンナは電動包丁で自分の喉を斬り裂こうとするなど目を伏せたくなるような惨状が繰り広げられる。これはズラウスキー監督の地獄のような結婚生活が反映されているのだろう。


夢のように滑らかなカメラワークに悪夢を誘発させらるようなバイオレンスな暴力表現はズラウスキー監督の作品群の一貫した演出とも言え、本作はその演出が存分に発揮されている。会話劇も不可解であり、登場人物たちが情緒不安定になる様もズラウスキー節が炸裂している。自然と我々観客側も脳が理解を拒んでしまう程だ。しかし、万人受けしない構成が魅惑的で、異様な映像美にも酔いしれてしまうのがズラウスキーマジックだ。


壮絶な夫婦喧嘩の末、幼い息子のボブ(ミシェル・ホーベン)を置き去りにし家を出て行ってしまったアンナの内偵を探偵(カール・ドゥーリング)に依頼するマルク。アンナとの諍いで疲労困憊になってしまったマルクはボブを学校へ送りに学校へと向かうとボブの担任教師であるヘレンと出会う。ヘレンはアンナと瓜二つの顔で、マルクも動揺するほどだった。唯一異なるのは瞳の色だけ。しかし、ヘレンの容姿がアンナに似ていると指摘する者は誰もいない。不思議な事にヘレンの生徒であるボブでさえこの事は作中で明言していない。このことからマルクは純粋だった頃の理想としていたアンナの面影をヘレンに重ねていたと推測できる。この演出は『夜の第三部分』にも見受けられ、過度のストレスやショックが引き起こす歪んだ現象ともとれる。ちなみにヘレン役はアジャーニが演じている。アンナとの兼ね役で演技の演じ分けも巧妙で、アンナ役の演者が演じているとは思えない程の清楚で純心な美人教師を違和感なく演じきっていた。


本作はアンナ役を演じるイザベル・アジャーニのこれまで演じた役柄とは程遠い不愉快でヒステリックに喚く怪演は、アジャーニの女優としての演技の振り幅の広さとその美貌とはかけ離れた狂乱性とのギャップに驚愕させられる。これは『夜の第三部分』と『悪魔』のマウゴタージャ・ブラウネックが演じた女性役から受け継がれた、ズラウスキー監督作品には欠かせない重要な要素だ。例えばマルクを強く拒絶し、その逆鱗に触れたマルクに暴行されるも、涙を流しながら不適な笑みでマルクを見つめる冷たい表情は本作の見どころの一つ。その表情からは自分の内にある悪を完全に受け入れ、開き直っているようにも見える。


そんなアジャーニの奇行は止まることを知らず、本作の真髄とも言える怪演は国宝級ものだ。キリストの銅像を見つめ甲高い声を上げなら股間に手を当てている、いわばキリストと擬似セックスをしている比喩とも受け止められるシーンと地下鉄で何かに憑依されたかのような、この世のものは思えない奇声を上げながら股間から白い液体を流し、壁や床にのたうちまわる約3分にも渡るロングショットだ。このシーンに何テイク費やしたのか、想像しただけでも背筋が凍りつく。アジャーニの女優魂に感服する他あるまい。そんな異常な光景を目の当たりにした我々観客はこの映画は何なんだ?何を見せられている?この演出にはどういった意図がある?謎が謎を呼び、様々な解釈が生まれ、また謎が深まるという負のサイクルを呼び起こす難解な描写と演出が作品の狂気性に拍車をかけている。


マルクがアンナの尾行を依頼した探偵の同性の恋人でもある同僚の探偵ジマーマン(ショーン・ロートン)はアンナの居場所を掴む事に成功し、古びたアパートのアンナの部屋へと潜入する事に成功するが、とあるモノを目撃してしまい、背後から忍び寄ってきたアンナに殺害されてしまう。ここからガラッとジャンルが不倫劇からサスペンスへと変貌を遂げる急展開。しかし、最も衝撃的で状況が把握しきれない描写が待ち受けている。それは、アンナと得体の知れないイカのような怪物との濡れ場だ。ジマーマンが目撃してしまったモノ。それはマルクが単身赴任している間に育ててきた怪物だった。お気付きのように本作は次々とジャンルが変わるカメレオンのような映画だ。一度で数ジャンルの映画が味わえる、実にお得な作品・・・とは言えない。全編通して憂鬱な気分にさせられるのに変わりわないのだ。しかし、ストーリーは一貫していて、次の展開が気になるような突飛な展開や絶句するような過激な描写を挟んで観客を飽きさせない荒唐無稽で独特なストーリー進行はズラウスキー監督の技量の高さ故の成せる業だ。この映画文法を模範する映画監督はこの世に出てこないだろう。


怪物の造形は『エイリアン』や『ET』で特殊効果を担当したカルロ・ランバルディが制作。このキャスティングにズラウスキー監督の本作に対する挑戦的な構えと映画というジャンルの新境地を築いてやるという意欲さが感じられる。ズラウスキー監督作の中で本作だけにしか怪物は登場しないのも本作がズラウスキー監督の代表作と言われる所以の一つだろう。この怪物の登場は完全に意表を突かれた。不倫劇、サスペンス 、ホラーへとジャンルは次々と変わってゆき、次第に私は本作を観賞中に偏頭痛を引き起こしてしまう。「こんな心地良い疲労感に襲われるなんて、これは極上の映画だ。」偏頭痛に苦しんでいる映画ドMである私のその時の率直な感想だった。


マルクはそんなアンナの異種姦を目撃してしまうが、彼もまた何かに憑依されてしまう。アンナとの確執がまるで無かったかのように彼女の犯罪の片棒を担ぐようになり、アンナの不倫相手だったハインリッヒやアンナの友人マージまでもマルクは殺害してしまう。アンナに関わる人間を排除したのだ。彼の表情や行動からは何が弾けて飛び散ったかのそうな解放感に溢れている。


やがて殺人の容疑で警察に追われる身になった二人は螺旋階段のある建物へと逃げ込む。そして、そこへアンナはもう一人の人物を連れてくる。それはもう一人のマルクだった。ドッペルゲンガー?いや、なんとあの怪物がマルクにメタモルフォーゼした姿だった。幻想や錯覚ではなく、ついに同一人物をズラウスキー監督は作品に登場させた、前二作品にはなかった新たな演出方法だ。おそらく、その怪物は今のマルクではなくアンナが理想としていた、かつての仲睦まじく生活していた頃のマルクなのだろう。お互いの理想の不一致による、すれ違いはやがて『俺たちに明日はない』を彷彿とさせる結末を迎える。しかし、その二人の共依存的な関係性が破滅への一途を辿りながらも、確かにこの二人には異形の愛が存在していたと思わせるような二人のラストシーンにはカタルシスを覚える。そして、もう一人のマルクはアンナの代わりにボブの面倒を見ているヘレンが居るアンナとマルクの家へと向かうのだが・・・。


自身の離婚体験をここまでディストピアなイメージで創造したズラウスキー監督の思考回路は誰にも分からないが、"結婚は墓場"という言葉の化身のような独創性に富んだ作品なのは間違いなく、まさに『ポゼッション』(憑依)というタイトルが本編を物語っている。憑依するのは何も悪魔や霊類だけではない。自分の内に音を立てることなく潜み、硬く扉を閉ざしているもう一人の悪の自分が、ふとした瞬間に開放され自分の心身に憑依してくるのかもしれない。それを制御できず、悪を受け入れてしまったのはアンナ自身だった。これは現実でもあり得る話で、制御せずにありのまま開放してしまうと大事件に発展してしまう。人間誰しも自分の中で自分を正当化してくれる悪魔を育てているのだ。それを生かすか殺すかは自分次第。


【まとめ】

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不倫劇・宗教・サスペンス ・ホラーと様々な刺激的不安要素をブレンドした闇鍋の如く、どれを摘んで食べても後味が悪く、嘔吐不可避のズラウスキー監督だけにしか出せない独特な味が魅力の『ポゼッション』。マルクとアンナ、ズラウスキー監督と前妻マウゴダージャ・ブラウネックと遺恨のあるポーランド政府。決して崩れることのないベルリンの壁が現実と虚構の世界に聳え立っていた。本作以降の作品でも不倫要素のある作品を発表し、ただの泥沼不倫劇で終始展開される事なく一癖あるズラウスキー流の激辛スパイスで味づけされている。出演者の一定のテンションで繰り広げられる難解な会話劇や、意味不明な演出ながらも絶大なインパクトを与えるバイオレンスな描写が功を成し数々の賞を受賞した本作。これを機にズラウスキー監督は映画業界から注目されるようになった。計り知れない不快指数で観客を震え上がらせたアンナを演じたアジャーニに関してはカンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。しかし、アジャーニは「このような演技は、もうすることはない」とインタビューに答えている。納得のいく英断だ。

ブラウネックから受け継いだ狂乱性はアジャーニへ、そしてドストエフスキーの小説『白痴』をズラウスキー監督流にアレンジした『狂気の愛』の主役であるソフィー・マルソーに伝承される。ちなみに『狂気の愛』は初めて日本でアンジェイ・ズラウスキーという名前が認知された作品だ。『狂気の愛』で知り合ったのをきっかけにズラウスキー監督とマルソーは26歳差ながらも後に結婚する。そして、離別する事になるがズラウスキー監督としては最長の17年という長い年月を共にしたようだ。ズラウスキー監督は2015年の『コスモス』が遺作となり、2016年癌のため75歳で死去。『夜の第三部分』『悪魔』『シルバー・グローブ/銀の惑星』『コスモス』はU-NEXTで配信されているので『ポゼッション』が好きな方や興味がある方はぜひとも視聴して、ズラウスキー監督の奇特な世界観を堪能してもらいたい。


何が起きるか想像もつかない飛び道具的な作品は一種の賭けだが変わった映画が観たい、気分が沈む映画が見たい、という方には推せる作品がこの『ポゼッション』だ。しかし、現在DVDは廃盤となっており、リバイバル上映も現在では一部の地域しか上映しておらず、非常に視聴困難な作品となっている。劇場パンフレットはallcinemaの通販で購入可能で、かなり読み応えのある濃厚な内容になっている。幻の独自の編集が加えられたアメリカ劇場公開版の説明も詳細に綴られているのでマストな一冊だ。allcinemaによると再来年辺りを目処にHDリマスターの国内版Blu-rayをリリースすることを匂わせている情報も発信していたので、首を長くし期待して気長に待ち続けよう。アンジェイ・ズラウスキーがアートに仕上げた残酷極まりない唯一無二の曰く付きの不条理作。『ミッドサマー』と同様に観賞後は考察が捗るものの、二度は観たくないと心底思わせる罪深い映画だ。