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映画レビュー

【ネタバレ】劣等感と信仰心の狂気が絡み合う、隠れた傑作スラッシャー映画『アリス・スウィート・アリス』レビュー

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【邦題】

アリス・スウィート・アリス

アリス・スイート・アリス(ビデオ)

【原題】

COMMUNION

ALICE SWEET ALICE

HOLY TERROR(再公開版)

【制作国】

アメリ

【劇場公開日】

1976年11月5日(米)

2020年8月21日(日)

【上映時間】

104分

107分(再公開版)

【スタッフ】

監督:アルフレッド・ソウル

脚本:アルフレッド・ソウル

         ローズマリー・リトヴォ

製作:リチャード・K・ローゼンバーグ

撮影:ジョン・フライバーグ

         チャック・ホール

編集:エドワード・サリエ

音楽:スティーブン・ローレンス

【キャスト】

ポーラ・シェパード[アリス・スペイジス]

リンダ・ミラー[キャサリン・スペイジス

ナイルズ・マクマスター[ドミニク・スペイジス]

ブルック・シールズ[カレン・スペイジス]

ジェーン・ロウリー[アニー・デロレンジ]

ゲイリー・アレン[ジム・デロレンジ]

ルドルフ・ウィルリック[トム神父]

ミルドレッド・クリントン[トレドーニ夫人]

アルフォンソ・デノーブル[アルフォンソ]


【不朽の名作スラッシャー映画に埋もれた不朽の傑作スラッシャー映画】

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「1970年代のスラッシャー映画といえば何?」と問われれば迷わず『悪魔のいけにえ』(1974)か『ハロウィン』(1978)と答えるだろう。後のホラー映画界に多大な影響を与えた金字塔的な代表作で、その遺伝子は途絶える事なく今だに続編、リメイク、リブート作品が制作されている大人気シリーズだ。しかし、『13日の金曜日』(1980)の公開を皮切りにバリエーション豊富な殺人描写、凄惨な人体破壊、殺人鬼の殺人動機や容姿の特徴などスラッシャー映画に於る表現方法も変化してゆき、スラッシャー映画は転換期を迎え、現在でもそれらを踏襲した作品が増殖し続けている。1970年代のスラッシャー映画は低予算ゆえに見せる残酷描写よりも見せない残酷性に徹していた事が多く、この技法は現代の低予算ホラー 映画やスラッシャー映画などに受け継がれている低予算に優しい伝統的な技法だ。それは『悪魔のいけにえ』や『ハロウィン』も例外ではない。では、どうして1970年代を代表するホラー映画、スラッシャー映画の二大巨頭にこの二作品はなったのか。それは試行錯誤しながら創意工夫を凝らして生まれたレザーフェイスやマイケル・マイヤーズという得体の知れない恐怖の存在感を放つ異常性のあるキャラクターと見せない残酷性+極限の恐怖演出だと思う。グロテスクな描写が皆無でも、背筋に戦慄が走るような唸りを上げる電動ノコギリや寡黙に包丁を振りかざし、どこまでも追いかけてくるスリルに観客は恐れ慄き、口コミでその恐怖が伝染してゆき、話題性でも興行収入面でも驚異的な大成功を収めた。これらの功績はトビー・フーパー監督とジョン・カンペーター監督の才能と手腕の賜物としか言いようがない。『悪魔のいけにえ』や『ハロウィン』の他にも『ドリラー・キラー』(1979)や『夕暮れにベルが鳴る』(1979)、『ハロウィン』に影響を与えたと言われている暗闇にベルが鳴る』(1974)など個人的に傑作と思える1970年代のスラッシャー映画も存在するが、今回は1970年代のスラッシャー映画の紡がれた歴史を踏まえた上で、名作スラッシャー映画に埋もれていたが、ある事をきっかけに日の目を浴びることになった隠れた傑作スラッシャー映画『アリス・スウィート・アリス』をレビューする。


ブルック・シールズ衝撃のデビュー作として話題になった再公開版】

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本作の監督はアルフレッド・ソウル。ソウル監督は低予算ポルノ映画『Deep Sleep』で映画デビュー。これがヒットするも、その猥褻な内容ゆえにFBIから上映禁止処分が下り、プリントも収益金も没収されてしまい2年間映画製作を禁じられてしまった。映画製作解禁後、カトリック教の家系だったソウル監督はアルフレッド・ヒッチコックの作品群やニコラス・ローグ監督の『赤い影』などからの影響とカトリック教での習わしから着想を得て本作を手がけることになる。当時、ソウル監督は建築家として歴史的建造物を修復する仕事に就いており、彼の手掛けたいくつかの物件が撮影場所として使用された。ロケ地となったのはソウル監督の故郷でもあるパターソン。聖体拝領を行う教会や雨が降り注ぐ静観な街並みが他のスラッシャー映画とは一線を画した殺人劇の舞台になっているのも本作の特筆すべき美点であり、作品の予測し難い物語の不穏な空気感を醸し出している。シカゴ国際映画祭のプレミア状況で上映された際は原題であるCommunion』(1976年)、映画会社アライテス・アーティスツに買収されアメリカで公開された際には各メディアで取り扱われるようになったタイトル『Alice Sweet Alice』(1977)、ルイ・マル監督の『プリティ・ベイビー』(1978)でブルック・シールズが有名になってから再上映された際には『Holy Terror』というタイトルに変更された。『Holy Terror』では映像が再編集されているが、ストーリーに大きな影響はない。初公開当時の興行収入は乏しかったものの、女優として頭角を現していたブルック・シールズの正当なデビュー作としてプロモーションを実施した結果、再公開時には大ヒットを記録し、作品はシールズのデビュー作という付加価値もあり瞬く間にカルト的な人気を博した。アイルランドでは反カトリックをテーマにした作品として、物議を醸したが、不朽の傑作スラッシャー映画として今でも語り継がれている作品になった。その後のソウル監督は本作以降の目覚ましい活躍はみられないが、現在はプロダクションデザインとして様々な映像媒体で活動している。


【黄色いレインコートが真っ赤な血に染まる、淡々と忍び寄る憎悪に満ちた連続殺人】

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小柄な背丈の人間が黄色いレインコートに身を包み、青いアイシャドウに赤い口紅を施し、不敵な笑みを浮かべたハロウィン用のマスクを付けた不安感を煽るヴィジュアルは本作のシンボルだ。


その異様な姿で容姿端麗で誰からも愛されている妹のカレンを悪戯心で脅かすアリスは母親のキャサリンの愛情に恵まれておらず、叔母のアニー・デロレンツォからは煙たがられていた存在だった。そんな扱いを受けていた思春期真っ只中の善悪の区別がつかない不安定な時期にアリスは自然と劣等感と嫉妬心を抱いてしまう。


そんな複雑なアリスの家庭環境を背景にスタイリッシュなカメラワーク、サスペンスフルな旋律を奏でる耽美な音楽、白い手袋を着用して淡々と連続殺人を繰り広げる殺人鬼のスタイルはイタリアンホラーの伝統、ジャーロ(ジャッロ)を彷彿とさせる映画方式だ。随所に見られる不気味な人形や恐怖演出はダリオ・アルジェント監督の作品群をオマージュしているようにも思えるが、ソウル監督は一切参考にはしていないようで、ダリオ・アルジェント監督の作品も観たことがないため、ソウル監督が生み出したアメリカ製ジャーロと称するべき独自性に富んだ構図と言える。


惨劇は聖体拝領を行う教会から始まる。真っ先に標的になるのはカレンだった。純白のベールを被り、火の灯った蝋燭を持ったカレンに背後から忍び寄った黄色いレインコートのを着た何者かが襲いかかる。やがて、首を絞められ意識を失ったカレンは、蝋燭で燃やされ焼死してしまう。正にブルック・シールズの"衝撃"のデビュー作だ。その後、聖体拝領に参加できなかったアリスが教会に現れ、カレンの純白のベールを被り、神父の前でしゃがみ込み、舌を出して聖体というキリストの体の実体とされるパンを父親の友人でもあるトム神父から受けようとする。しかし、カレンの死体が発見され殺人容疑はカレンのベールを被っていたアリスに向けられてしまい、ますますアリスは周りの人間から距離を置かれるようになってしまう。はたしてカレンを殺害した犯人はアリスなのか・・・。


【一癖ある個性豊かな登場人物たち】

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母親や叔母を嫌悪し、母親から溺愛されたカレンを妬み、家族に対し不信感を募らせたアリスの心は歪みきり、ゴキブリを瓶の中で飼い、不気味な人形を持ち、それらの隠し場所としてマンションの地下室を使用している。このアリスのサイコな心理を深掘りしている描写が物語を掻き乱す良いスパイスになっている。アリスを演じたポーラ・シェパードは当時19歳で思春期の少女を演じている。小柄で幼い顔はブルック・シールズとの姉妹役として見事にハマっていて、ヒステリックになったり、甘えたりと思春期の少女特有の情緒不安定さを違和感なく表現できる実力派の女優だ。


アリスと同じマンションに住んでいる巨漢の男アルフォンソは股間に茶色い大きな染みが付いた不潔な愛猫家。アリスに嫌われていて、出会う度に啀み合っている。カレンが死んだ際には「死んだ子があの子だというのが、残念だ」とかなり皮肉めいたことをアリスに言い放ったりもするが、アリスにキスを迫る描写もあるため、なかなか掴めない男でもあるが、本作切ってのユニークな登場人物だ。それと、愛猫家には辛いシーンがあるため本作を視聴する際にはご注意を。アルフォンソを演じたアルフォンソ・デノーブルは昼間は神父の身なりをして墓場をうろつき、勘違いした人間が彼に祈ってほしいと頼み込み、神父のふりをして祈るとチップがもらえるという、映画のキャラクターみたいな人物だったらしい。夜はバーの用心棒として働いていた。


アリスの母親のキャサリンはカレンが死んだショックもあり、その上アリスの言動に悩まされてノイローゼに。しかし、完全にアリスを拒絶するようなことはなく、アリスがカレン殺しに疑われたことに対し真っ向から否定していた。離婚した元旦那とよりを戻すような展開もあるが、なぜ離婚したかなど二人の仲については明確な描写はない。お互いに未練たれたれな様子だったが。キャサリン役のリンダ・ミラーに関しては本作の撮影時に自殺未遂を起こし、本作の撮影が延期したという逸話がある。父親のドミニク役のナイルズ・マクマスターはブルック・シールズとは舞台で一緒になったことがあり、気心の知れた仲だったそうな。


その他の登場人物たちも粒揃いの役者たちが演じており、特にアニー役のジェーン・ロウリーのオーバーなリアクションとアリスのことを毛嫌いする嫌味ったらしい演技は絶品だ。最初に殺されるのは彼女なんじゃないかと初見時に邪推してしまうほどだ。ミルドレッド・クリントンが演じたトレドーニ夫人はトム神父に根深い感情を抱いていて、信仰心も人一倍持ち合わせている。序盤で殺されてしまうカレン役のブルック・シールズは作中で唯一の癒し枠だ。天使のような顔立ちはこの頃から変わらない。親の言うことも聞き、愛想良く振る舞う彼女は皆んなから可愛がられ、アリスが嫉妬してしまうのも無理もないように思ってしまう。こう思った時点で犯人に踊らされているわけなんだが・・・。

このように一癖も二癖もある登場人物たちがミスリードを招く構成になっていて、中盤あたりまでは絶対に犯人を暴けられない。しかし、犯人は呆気なく自分から仮面を外してしまう。そう、この狂気が入り乱れた物語は犯人が判明した後からが本番なのだ。


と、いうように役よりも演者本人に興味を唆られてしまうのは自分だけだろうか?


【殺人描写を技巧な編集技術で高尚に表現】

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ここからはスラッシャー映画の要でもある殺人描写で印象的だったものの感想を綴っていく。


複雑な人間関係、家庭崩壊、少女が抱え込んでしまった闇など陰鬱とした人間模様が主軸になったドラマ性に厚みがあるのはスラッシャー映画としては珍しい部類なのだが、殺人描写も一味違った。


まず、アニーの足に包丁を突き刺すシーン。作中で最も編集のエドワード・サリエが拘ったシーンだ。アニーがマンションの階段から降りてきて、待ち伏せしていた殺人鬼が階段の手すりの支柱と支柱の間からアニーの脚目掛けて包丁を突き刺す度に何度もカット割りが入り、殺人鬼の後ろには鏡がありアニーの怯えた表情が映るのも相まって斬新な演出となっている。包丁が刺さり真っ赤な血が溢れ出し、そのまま階段から転げ落ち、足を引きずりながら「アリスよ!!」とアニーは叫ぶ。エドワード・サリエの技巧な編集技術が光ったワンシーンだった。アメリカ映画と謳わなければ、ジャーロ映画と勘違いしそうなほど芸術的な演出だ。


そして、アリスの父親ドミニクが殺人鬼と対峙し、廃墟の二階からドミニクが突き落とされるシーン。落とされるのはダミー人形だが、カットが入り、ドミニクが地面に叩きつけられる演出になる。その地面には鏡の破片が落ちており、その鏡に殺人鬼が廃墟の二階から顔を覗かしているのが、うっすらと映るという末恐ろしいシーンだ。この時点で鏡を使った恐怖演出が二回使われているが、全く違和感なく巧みに使いこなせている。


【アリス・スウィート・アリス 2Kレストア・スペシャル・エディション】


国内でもようやくオフィシャル化された本作のBlu-ray是空よりリリース。大手通販サイトなどで流通している低価格のDVD版は海賊盤なので注意していただきたい。この海賊盤のおかげで版権元公認のBlu-rayのリリースが何年も遅れたのだ。海賊盤業者については後日改めて記事にして投稿する。


画質はもちろん高画質で文句の付け所がない。神々しいまでに金色に彩られたジャケットのデザインは是空オリジナル。特典映像&音声も充実したラインナップだ。


初回限定版には是空お馴染みのVHS風アウターケースとナマニク氏による12Pのオリジナルブックレット。このブックレットが本作の本質をついている濃厚な12Pになっているので、ぜひ初回限定版を購入してほしい。


特典

特典映像計約90分+米公開版「Holy Terror」本編107分収録 


監督アルフレッド・ソウル&編集エドワード・サリエによる音声解説


映画史家リチャード・ハーランド・スミスによる音声解説


“First Communion":監督アルフレッド・ソウル インタビュー 


“Alice on My Mind":音楽スティーヴン・ローレンス インタビュー 


“In the Name of the Father":神父役ナイルズ・マクマスター インタビュー 


“Lost Childhood":「アリス・スウィート・アリス」映画ロケーション紹介 


Sweet Memories":監督・脚本家ダンテ・トマセリ(アルフレッド・ソウル監督のいとこ)インタビュー 


削除シーン 


「Alice, Sweet Alice」版オープニング 


米公開タイトル「Holy Terror」版予告編 


英公開タイトル「Communion」版TVスポット 


イメージ・ギャラリー [動画形式] 


米公開版「Holy Terror」本編(107分/英語ドルビーデジタルモノラル2.0ch/16:9[1080p Hi-Def] 1.85:1 アメリカン・ビスタサイズ/HD/日本語字幕:107分) 


【まとめ】

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雨が降ってる中での会話劇や精神病院でのアリスとキャサリンの会話など、どこかイギリスやフランス映画などに匹敵する牧歌的な空間があるのが、初公開時にヒットしなかった要因の一つかも知れないが、今では本作の味の一つだ。アリスという一人の少女が孤独感と劣等感に苛まれる中、不幸にも妹のカレンが殺され、殺人事件の容疑者にされてしまう。アリスとは心の距離が離れている母親のキャサリンとキャサリンの離婚した夫でアリスの父親でもあるドミニクとの複雑な三人の関係がどう問題の解決に向かってゆくのかが肝となっている。そして無差別に殺人を繰り返す黄色いレインコートの殺人鬼の正体と動機とは?ショッキングシーンが少なめの1970年代に誕生した宗教問題と家庭環境が引き起こす異質なスラッシャー映画『アリス・スウィート・アリス』。『ハロウィン』や『悪魔のいけにえ』のような動機なき殺人とは違った感覚を楽しんでもらえたら嬉しい。

【ネタバレ】監督の怨念が込められた怪作!不条理と狂気が織り成す愛憎劇『ポゼッション』

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【邦題】

ポゼッション

【原題】

Posession

【制作国】

フランス/西ドイツ 

【劇場公開日】

フランス:1981年5月27日

日本:1988年9月17日

【上映時間】

127分

80分(アメリカ劇場公開版)

【スタッフ】

監督:アンジェイ・ズラウスキー

脚本: アンジェイ・ズラウスキー

製作:マリー=ロール・レール

撮影:ブルーノ・ニュイッテン

特殊効果:カルロ・ランバルディ

美術:ホルガー・グロス

編集:マリー=ソフィ・デュフ

音楽:アンジェイ・コジンスキー

【キャスト】

イザベル・アジャーニ[アンナ/ヘレン]

サム・ニール[マルク]

ハインツ・ベネント[ハインリッヒ]

ミシェル・ホーベン[ボブ]

マルギッド・カルステンセン[マージ]

カール・ドゥーリング[探偵]

ショーン・ロートン[ジマーマン(探偵)


【奇跡のリバイバル上映で『ポゼッション』を初体験】

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『ヘレディタリー/継承』で「21世紀最高のホラー映画」と絶賛されたアリ・アスター監督が失恋した時の心情をショッキングなストーリーと演出で話題を集めた『ミッドサマー』。失恋という誰もが経験するであろう苦難を地獄絵図のような映像表現で具現化し、監督の失恋した当時の心境が底知れない闇に覆われていた事が画面全体から欝々と伝わってくる構成になっている。監督自身の失恋体験を多少の脚色や誇張で如実に表現するのではなく、スリラーテイストに全編を纏い完全なフィクションとして徹頭徹尾仕上げた結果、観客に強烈な印象と後味の悪い嫌悪感を植え付け、評価が賛否両論分かれた過激派カルト宗教失恋トリップスリラー映画として日本でも異例の大成功を収めた。


監督自身の実体験を映画にアウトプットした作品は数多あるが、『ミッドサマー』のような監督自身の厭な経験を基にした悍しくも完成度の高い映画は希少だ。このような人を選ぶ決して量産されることのない、観客の精神を擦り削らせる挑戦的な『ミッドサマー』に同様の手触りを感じた作品がある。それはアンジェイ・ズラウスキー監督の『ポゼッション』だ。男女のすれ違いと極度のストレスが温床となり悲惨な運命を辿るプロットは『ミッドサマー』との共通点の一つだ。ただ、アリ・アスター監督とは異なるアプローチで観客を地の獄へと誘う。


『ポゼッション』は1981年に第34カンヌ国際映画祭にて初公開され、凄惨な演出とストーリーが進むに連れてジャンルが行方不明になっていく構成に観客は圧倒され、日本でも1988年のファンタスティック映画祭にて初公開され話題を呼んだ。そして、20201月。狂気はそのままに、高品質な映像に変貌を遂げ日本に再上陸し、このリバイバル上映が私の『ポゼッション』初体験となり、私はこの映画の形容し難い魅力に心を奪われた。


アンジェイ・ズラウスキー監督の実体験が生み出した邪悪な寓話】

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ポーランド出身のアンジェイ・ズラウスキー監督は父親の小説を基にナチスに一家を惨殺された男が妊婦の女性に亡き妻の面影を重ねてしまい、その女性を守ろうと生活費を稼ぐためにチフス菌実験の検体者となった男の人生を通しながら、不条理なポーランドの当時の現状を混沌と映し出す『夜の第三部分』(1971)と第二次ポーランド分割時代に王暗殺未遂として収容されていた男が認知の歪みにより可視しているモノが現実なのか幻想なのか判別がつかない状態になりながら、酸鼻を極めたポーランドを彷徨う『悪魔』(1972)といった哲学的且つ政治的な攻めたテーマと奇抜な作家性がポーランドでは物議を醸し、ポーランドの映画業界からは異端児扱いされた映画監督だった。(現在で言えばアリ・アスター監督、ギャスパー・ノエ監督、ラース・フォン・トリアー監督、ジェニファー・ケント監督等がズラウスキー監督の厭な映画の系譜を汲んでいるように思える)

ズラウスキー監督はこの二作品で常軌を逸した狂乱する女性を見事に演じた女優マウゴジャータ・ブラウネックと結婚するが程なくして離婚。さらには、ポーランド政府から目を付けられ『悪魔』はポーランド国内で上映禁止処分を受け、1977年には大叔父の小説を原作にした大作SF映画『シルバー・グローブ/銀の惑星』は政治批判だと難癖をつけられポーランド政府によって制作中止に追い込まれるなど災難続きだった。(後に『シルバー・グローブ/銀の惑星』は1988年に公開される)

そこに救いの手を差し伸べたのはハリウッドの映画会社パラマウントだった。ズラウスキー監督はこの機を活かそうとニューヨークへと渡り『シルバー・グローブ/銀の惑星』に代わる作品として自身の離婚問題の苦悩を基にして構想した『ポゼッション』の原型である脚本を仕上げた。しかし、故郷のポーランドに帰国しようとしたズラウスキー監督に待ち受けていたのは、ポーランド政府からの国外追放の通告だった。帰る国を亡くし絶望の淵に立たされたズラウスキー監督だったが、心折れることなく映画の撮影場所を西ベルリンに移し『ポゼッション』の撮影を本格的に開始した。マウゴジャータ・ブラウネックとの夫婦生活での不満と鬱憤、ポーランド政府から映画制作を阻害され最終的に国外追放までされた憤りと哀しみを怨念として宿された『ポゼッション』は邪悪な寓話として誕生したのだった。


【不倫劇から一転、ホラー映画へ!理想は怪物を生む】

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ベルリンの閑静な住宅街を背景に重苦しくも耽美な音楽が奏でられる導入部で、早くも不穏な空気が漂う。物語は終始、この不穏さが持続され観る側の体力を消耗させられる。簡易的に言えば物語は単身赴任を終えた夫のマルク(サム・ニール)と夫の帰りを待っていた妻のアンナ(イザベル・アジャーニ)による怪奇色を含んだ不倫劇である。マルクの単身赴任中にアンナがヨガのインストラクターのハインリッヒ(ハインツ・ベネント)と不倫している事を友人のマージ(マルギッド・カルステンセン)から聞かされ激情したマルクはアンナに対して暴力を振るい、ヒステリックを起こしたアンナは電動包丁で自分の喉を斬り裂こうとするなど目を伏せたくなるような惨状が繰り広げられる。これはズラウスキー監督の地獄のような結婚生活が反映されているのだろう。


夢のように滑らかなカメラワークに悪夢を誘発させらるようなバイオレンスな暴力表現はズラウスキー監督の作品群の一貫した演出とも言え、本作はその演出が存分に発揮されている。会話劇も不可解であり、登場人物たちが情緒不安定になる様もズラウスキー節が炸裂している。自然と我々観客側も脳が理解を拒んでしまう程だ。しかし、万人受けしない構成が魅惑的で、異様な映像美にも酔いしれてしまうのがズラウスキーマジックだ。


壮絶な夫婦喧嘩の末、幼い息子のボブ(ミシェル・ホーベン)を置き去りにし家を出て行ってしまったアンナの内偵を探偵(カール・ドゥーリング)に依頼するマルク。アンナとの諍いで疲労困憊になってしまったマルクはボブを学校へ送りに学校へと向かうとボブの担任教師であるヘレンと出会う。ヘレンはアンナと瓜二つの顔で、マルクも動揺するほどだった。唯一異なるのは瞳の色だけ。しかし、ヘレンの容姿がアンナに似ていると指摘する者は誰もいない。不思議な事にヘレンの生徒であるボブでさえこの事は作中で明言していない。このことからマルクは純粋だった頃の理想としていたアンナの面影をヘレンに重ねていたと推測できる。この演出は『夜の第三部分』にも見受けられ、過度のストレスやショックが引き起こす歪んだ現象ともとれる。ちなみにヘレン役はアジャーニが演じている。アンナとの兼ね役で演技の演じ分けも巧妙で、アンナ役の演者が演じているとは思えない程の清楚で純心な美人教師を違和感なく演じきっていた。


本作はアンナ役を演じるイザベル・アジャーニのこれまで演じた役柄とは程遠い不愉快でヒステリックに喚く怪演は、アジャーニの女優としての演技の振り幅の広さとその美貌とはかけ離れた狂乱性とのギャップに驚愕させられる。これは『夜の第三部分』と『悪魔』のマウゴタージャ・ブラウネックが演じた女性役から受け継がれた、ズラウスキー監督作品には欠かせない重要な要素だ。例えばマルクを強く拒絶し、その逆鱗に触れたマルクに暴行されるも、涙を流しながら不適な笑みでマルクを見つめる冷たい表情は本作の見どころの一つ。その表情からは自分の内にある悪を完全に受け入れ、開き直っているようにも見える。


そんなアジャーニの奇行は止まることを知らず、本作の真髄とも言える怪演は国宝級ものだ。キリストの銅像を見つめ甲高い声を上げなら股間に手を当てている、いわばキリストと擬似セックスをしている比喩とも受け止められるシーンと地下鉄で何かに憑依されたかのような、この世のものは思えない奇声を上げながら股間から白い液体を流し、壁や床にのたうちまわる約3分にも渡るロングショットだ。このシーンに何テイク費やしたのか、想像しただけでも背筋が凍りつく。アジャーニの女優魂に感服する他あるまい。そんな異常な光景を目の当たりにした我々観客はこの映画は何なんだ?何を見せられている?この演出にはどういった意図がある?謎が謎を呼び、様々な解釈が生まれ、また謎が深まるという負のサイクルを呼び起こす難解な描写と演出が作品の狂気性に拍車をかけている。


マルクがアンナの尾行を依頼した探偵の同性の恋人でもある同僚の探偵ジマーマン(ショーン・ロートン)はアンナの居場所を掴む事に成功し、古びたアパートのアンナの部屋へと潜入する事に成功するが、とあるモノを目撃してしまい、背後から忍び寄ってきたアンナに殺害されてしまう。ここからガラッとジャンルが不倫劇からサスペンスへと変貌を遂げる急展開。しかし、最も衝撃的で状況が把握しきれない描写が待ち受けている。それは、アンナと得体の知れないイカのような怪物との濡れ場だ。ジマーマンが目撃してしまったモノ。それはマルクが単身赴任している間に育ててきた怪物だった。お気付きのように本作は次々とジャンルが変わるカメレオンのような映画だ。一度で数ジャンルの映画が味わえる、実にお得な作品・・・とは言えない。全編通して憂鬱な気分にさせられるのに変わりわないのだ。しかし、ストーリーは一貫していて、次の展開が気になるような突飛な展開や絶句するような過激な描写を挟んで観客を飽きさせない荒唐無稽で独特なストーリー進行はズラウスキー監督の技量の高さ故の成せる業だ。この映画文法を模範する映画監督はこの世に出てこないだろう。


怪物の造形は『エイリアン』や『ET』で特殊効果を担当したカルロ・ランバルディが制作。このキャスティングにズラウスキー監督の本作に対する挑戦的な構えと映画というジャンルの新境地を築いてやるという意欲さが感じられる。ズラウスキー監督作の中で本作だけにしか怪物は登場しないのも本作がズラウスキー監督の代表作と言われる所以の一つだろう。この怪物の登場は完全に意表を突かれた。不倫劇、サスペンス 、ホラーへとジャンルは次々と変わってゆき、次第に私は本作を観賞中に偏頭痛を引き起こしてしまう。「こんな心地良い疲労感に襲われるなんて、これは極上の映画だ。」偏頭痛に苦しんでいる映画ドMである私のその時の率直な感想だった。


マルクはそんなアンナの異種姦を目撃してしまうが、彼もまた何かに憑依されてしまう。アンナとの確執がまるで無かったかのように彼女の犯罪の片棒を担ぐようになり、アンナの不倫相手だったハインリッヒやアンナの友人マージまでもマルクは殺害してしまう。アンナに関わる人間を排除したのだ。彼の表情や行動からは何が弾けて飛び散ったかのそうな解放感に溢れている。


やがて殺人の容疑で警察に追われる身になった二人は螺旋階段のある建物へと逃げ込む。そして、そこへアンナはもう一人の人物を連れてくる。それはもう一人のマルクだった。ドッペルゲンガー?いや、なんとあの怪物がマルクにメタモルフォーゼした姿だった。幻想や錯覚ではなく、ついに同一人物をズラウスキー監督は作品に登場させた、前二作品にはなかった新たな演出方法だ。おそらく、その怪物は今のマルクではなくアンナが理想としていた、かつての仲睦まじく生活していた頃のマルクなのだろう。お互いの理想の不一致による、すれ違いはやがて『俺たちに明日はない』を彷彿とさせる結末を迎える。しかし、その二人の共依存的な関係性が破滅への一途を辿りながらも、確かにこの二人には異形の愛が存在していたと思わせるような二人のラストシーンにはカタルシスを覚える。そして、もう一人のマルクはアンナの代わりにボブの面倒を見ているヘレンが居るアンナとマルクの家へと向かうのだが・・・。


自身の離婚体験をここまでディストピアなイメージで創造したズラウスキー監督の思考回路は誰にも分からないが、"結婚は墓場"という言葉の化身のような独創性に富んだ作品なのは間違いなく、まさに『ポゼッション』(憑依)というタイトルが本編を物語っている。憑依するのは何も悪魔や霊類だけではない。自分の内に音を立てることなく潜み、硬く扉を閉ざしているもう一人の悪の自分が、ふとした瞬間に開放され自分の心身に憑依してくるのかもしれない。それを制御できず、悪を受け入れてしまったのはアンナ自身だった。これは現実でもあり得る話で、制御せずにありのまま開放してしまうと大事件に発展してしまう。人間誰しも自分の中で自分を正当化してくれる悪魔を育てているのだ。それを生かすか殺すかは自分次第。


【まとめ】

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不倫劇・宗教・サスペンス ・ホラーと様々な刺激的不安要素をブレンドした闇鍋の如く、どれを摘んで食べても後味が悪く、嘔吐不可避のズラウスキー監督だけにしか出せない独特な味が魅力の『ポゼッション』。マルクとアンナ、ズラウスキー監督と前妻マウゴダージャ・ブラウネックと遺恨のあるポーランド政府。決して崩れることのないベルリンの壁が現実と虚構の世界に聳え立っていた。本作以降の作品でも不倫要素のある作品を発表し、ただの泥沼不倫劇で終始展開される事なく一癖あるズラウスキー流の激辛スパイスで味づけされている。出演者の一定のテンションで繰り広げられる難解な会話劇や、意味不明な演出ながらも絶大なインパクトを与えるバイオレンスな描写が功を成し数々の賞を受賞した本作。これを機にズラウスキー監督は映画業界から注目されるようになった。計り知れない不快指数で観客を震え上がらせたアンナを演じたアジャーニに関してはカンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。しかし、アジャーニは「このような演技は、もうすることはない」とインタビューに答えている。納得のいく英断だ。

ブラウネックから受け継いだ狂乱性はアジャーニへ、そしてドストエフスキーの小説『白痴』をズラウスキー監督流にアレンジした『狂気の愛』の主役であるソフィー・マルソーに伝承される。ちなみに『狂気の愛』は初めて日本でアンジェイ・ズラウスキーという名前が認知された作品だ。『狂気の愛』で知り合ったのをきっかけにズラウスキー監督とマルソーは26歳差ながらも後に結婚する。そして、離別する事になるがズラウスキー監督としては最長の17年という長い年月を共にしたようだ。ズラウスキー監督は2015年の『コスモス』が遺作となり、2016年癌のため75歳で死去。『夜の第三部分』『悪魔』『シルバー・グローブ/銀の惑星』『コスモス』はU-NEXTで配信されているので『ポゼッション』が好きな方や興味がある方はぜひとも視聴して、ズラウスキー監督の奇特な世界観を堪能してもらいたい。


何が起きるか想像もつかない飛び道具的な作品は一種の賭けだが変わった映画が観たい、気分が沈む映画が見たい、という方には推せる作品がこの『ポゼッション』だ。しかし、現在DVDは廃盤となっており、リバイバル上映も現在では一部の地域しか上映しておらず、非常に視聴困難な作品となっている。劇場パンフレットはallcinemaの通販で購入可能で、かなり読み応えのある濃厚な内容になっている。幻の独自の編集が加えられたアメリカ劇場公開版の説明も詳細に綴られているのでマストな一冊だ。allcinemaによると再来年辺りを目処にHDリマスターの国内版Blu-rayをリリースすることを匂わせている情報も発信していたので、首を長くし期待して気長に待ち続けよう。アンジェイ・ズラウスキーがアートに仕上げた残酷極まりない唯一無二の曰く付きの不条理作。『ミッドサマー』と同様に観賞後は考察が捗るものの、二度は観たくないと心底思わせる罪深い映画だ。